子供との距離

子供との距離について思うことがある。


妊娠してから子供がおしゃべりするようになる頃まで、私にはずっと、子供に対して「どこかから預かっている」という感覚があった。

 

ふとした瞬間に、我が家に子供がいる事に驚いたし、どこかから借りてきているのでは、と思う事も度々あった。
可愛くて可愛くて、自分の心臓ですらあげられると思っているのに、目の前にいる子供に対して親密さを感じきれていないような、不思議な気持ち。

 

その後、俳優の堺雅人さんが「子供は預かり物」と表現されているのを見て、とてもしっくりきた。

 


そう。私はこの子を、社会から、そしてこの子の人生から託されて、預かっている。
預かっているだけだから、いつか返さなければならない。
私の物ではない。

 


その後、子供が私達を拠り所とする態度を見せ始め、言葉でコミュニケーション取れるようになり、「我が家の一員」という感じが強くなってくると、だんだんとその不思議な気持ちは薄れていった。


けれど私は、「子供は他人」という気持ちを持ち続けたいと思っている。


私が子供の頃、「お受験」という言葉がブーム・批判の対象になった事があり、子供に受験を強要する親にはなりたくないな、と子供心に思った記憶がハッキリとある。
さらに大人になってから、私の性質として承認欲求が高く、それが暴走すれば「子供の成績は私の評価!」と思ってしまう可能性がある、と気付いたので、妊娠するだいぶ前から、子供と自分の評価は同一視しないように、と心に決めていた。

 

子供は他人。私に属するものではない。


もちろん、「将来、子供と本の話がしたい」とか「天体観測に興味を持ってくれたら嬉しい」などの願望はあり、それは育児のモチベーションでもあるので大切にしたいと思っている。
そのための工夫のアレコレについて、親が勝手にするぶんには良いのだと思う。
ただし、その結果について一喜一憂しないこと。

 

今の私にはまだ未踏だが、親の思い通りにならないことを、むしろ喜べるようになりたい。
それには、親が自分の人生について夢中になっていることも、とても大事なのかもしれない。

 

 

躊躇わず心臓を捧げられるくらい子供を愛しているが、育児は、人生の要素の一つに過ぎない。

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おしまい。